ヴェネト州にある城壁の町、チッタデッラ。保存状態の良い立派な城壁で囲まれた小さな町。ヴェネト州にはチッタデッラのようなまっ平らな平野に拓けた城壁の町がいくつかあります。今回はその中の一つ、チッタデッラを見てみましょう。
イタリアには日本ではあまり知られていない魅力的な町がたくさんあります。今回は北イタリアに位置するヴェネト州・パドヴァ県からCittadellaチッタデッラという町を紹介致します。
チッタデッラは県都のパドヴァより北31㎞ほどいったところにあります。人口2万人のこの小さな町の美しさはなんといっても旧市街を囲む立派な城壁。この城壁は周長1461メートルあります。旧市街は周囲には水堀があり、直径450メートルの少し歪な円形型旧市街を東西南北に面した4つの門、そして大小32の塔と高さ15メートル前後、厚さ2.10メートルの城壁が囲んでいます。
旧市街の入り口である4つの門;5つのアーチで装飾された北門のPorta Bassano(バッサーノ門)、Torre di Malta(マルタの塔)のある南門のPorta Padova(パドヴァ門)、東門のPorta Treviso(トレヴィーゾ門)、そして西門のPorta Vicenza(ヴィチェンツァ門)からなります。門と門を一直線に結ぶ通りはチッタデッラの町を直角に交差し統制された町並みをしています。地図を見ると記号のような町並みに驚くことでしょう。
このチッタデッラの町はなんと紀元前1500年前の青銅器時代から人が住んでいた記録があります。発掘された青銅器時代のものはマルタの塔にある小さな考古学展示ルームで見ることができます。この料金は城壁散歩の入場料金に含まれているので(2013年4月時点)購入した入場券は城壁散歩から出るまでなくさないようにしっかり持っていてください。
11世紀頃には教会や修道院ができ町としての機能するようになりました。そんなチッタデッラの町には古代ローマ時代のポストミア街道(紀元前148年)が通過し、近くに水運として便利なブレンタ川が流れているためパドヴァ、ヴェローナ、ヴェネツィア共和国等だけでなくナポレオン軍やオーストリアの侵略・支配下に置かれた歴史を持ちます。
多くの侵略にあったチッタデッラの城壁は近隣のトレヴィーゾやヴィチェンツァからの攻撃から守るためにパドヴァ領域の前哨基地として1220年から建設されたものなのです。
2013年現在、この城壁の上に入場できるようになっており(大人5€)上から旧市街や素晴らしい眺めを見ることができます。せっかくなのでグルっと一周したいものですが周長4分の1ほどはまだ修復中で全周することはまだできません。係の人の話しによるといつ修復工事が終わるかは未定だそうです、ゆっくりしっかり修復するのもイタリアらしいです。 旧市街の眺めで目を引くのがやはり中心にあるドゥウモ。このドゥウモの建設は1774年に始まり3人の建築家によって1826年に完成しました。
更に興味深い建物として城壁門の一つであるパドヴァ門に寄り添って立つマルタの塔。この塔は当時この地域の支配者であったエッツェリーノ・ダ・ロマーノの命令により1251年に立てられました。建設当時既に2つの塔が存在していたのですが彼はそれ以上に頑丈で大きな塔の建設を命じました。目的は彼に逆らう敵を囚人として収容するためでした。囚人たちは食べ物も水も与えられず餓死したそうです。あのダンテの神曲でもこの彼の非道さについて触れています。
この塔の一番上には展望台がありゆっくりと景色を眺めることができます。またちょっとしたお土産や青銅器時代~ルネッサンス期の小さな考古学展示ルームもあります。 チッタデッラで最も重要なイベントの一つが「Fiera Franca di Cittadella」という10月下旬の週末に開催されるフェスタ。特産物の屋台や移動式遊園地などが並びいつも以上に活気にあふれます。
イタリアは小さな町でもその町特有のフェスタや風習があり彼らはそれを誇りに思っています。 このフェスタはOnaraという場所で催されていた市場をパドヴァがチッタデッラに移行させたのが始まりで1231年チッタデッラに移ったこのフェスタはFiera Franca di Cittadellaという名前で生まれ変わり現在に至ります。 チッタデッラは小さな町ですがパドヴァやトリエステからの近くこれほど城壁の保存状態が良い町もそうありませんのでお勧めです。
言葉がわかるともっと素敵な特別な体験ができます。
当スクールではZoomまたはSkypeでネイティブ講師によるオンラインレッスンを行っています。旅行前に、そしてイタリア滞在後更にイタリアに魅了された方、イタリア語を始めてみませんか。トライアルレッスンをお試しいただけます。ご希望の方は下記のフォームよりお申込みください。